間取り主義からの脱却 − 脱LDKとしてのゾーンプランニングのあり方  
     
  日本の戸建て住宅の多くは、つくられかたの全体を俯瞰すると大体三つのカテゴリーに集約できると考えている。それぞれのカテゴリーの内容とそれぞれ抱える欠点を以下列記してみたい。
 
  図1
(1) 製品
工場で作られる工業化住宅のみならず全国津々浦々にある小さな「工務店」などが作る住宅も「製品」住宅として(工業化住宅は商品住宅でもある場合が多いが、工務店住宅は作品にも近い。しかしながら、、、。)見て良いと考えている。出来の良し悪しはあってもその「製品」思想に於いて共通するからである。「製品」はモノの精度
<FIG4>を要求する。と言うことは原理的に住形式の自由度を毀損してでも、と言う注釈が必ず付きまとっているのだ。工業化は必ずn-LDK形式を前提とし、(何故ならその空間分節思考が製品を構成する部品思考にぴったりフィットするから)工務店住宅はプランニングと工法の固定にこだわる。故に移ろいゆく現代生活とのズレは必ずと言っていいほど発生しているのである。
 


「製品」性能の根拠となる
軸組「工法」のディテール
<FIG4>
(2) 商品
これはデベロッパーやハウスビルダーの「建て売り」住宅が過半を占めるだろう。ここでは住宅は土地/建物含めて「流通する」商品として定位されている。
<FIG5>不動産はリスクが大きい。故に開発し売り切るまでに時間が必要で資金の滞留を求められる性格上、利幅がいる。住宅を作る全てのリスクを業者サイドに押し付けているのだから、買い手はその分後付けで支払うこととなっているのである。(見えていないけれど。) 商品(工業化)住宅は最悪である。プランの住形式の固定を甘受しているにも関わらず、商品販売コストを上乗せされ、土地の取得益まで取られてしまうと、原価は全体のコストの40%以下、つまりは約60%の経費を買い手は支払うことになっている。車や電化製品は大量生産の価格面のメリットを買い手は大いに享受しているが、住宅ではそうはなっていないのである。日本の住宅が「高い」のにはこの辺りのビジネスの構造上の理由が大きいようだ。またその上もっと悪いことには、ハウスビルダーの作る住宅などは大体が住宅メーカーの作る住宅の焼き直しであったり、ミニ開発で良く見る3階建て<FIG6>、1階駐車場形式のプランの見栄え(核家族+出来れば親同居+駐車スペースを持って4〜5LDKに無理矢理仕立ててある。)優先で構造上(計算上は成り立っているが)歪なものが多く見てとれる。都心周縁部にこの手の住宅は多い。住環境への言わば「ただ乗り」住宅であり、これが増殖している地域では住環境の疎悪化に繋がっているケースが我々の周りにも多く見られる現象である。
 

商品住宅の事例 <FIG 5>

 

典型的な建て売り「商品」の事例 <FIG 6>

(3) 作品
建築家やそのアトリエが作る言わばオーダーメイドの住宅。買い手にとっては作品は一回性が高くどんなものが出来るか、いくらなのか「見えない」デメリットがいつも付きまとう。また、作り手の能力による出来不出来の差は大きく作り手の「エゴ」によりなされることも多い。(建築家は人の家を自分の作品であると見る一種不遜な立ち位置で家を作っているからである。)しかし、「素晴らしい」家が出来る場合もある。「自由」には必ず自由であるが故のリスクが付きまとっている。家を作る上での少数派であり続けるのはこのあたりの不透明さによるものであろう。
家は本来「保守的」なものである。例えばモダニズムの初期ミースやコルビジェの住宅は一握りのインテリ層以外理解出来なかったし、頭では理解出来たとしても身体的にはとても「住める」代物ではなかった。「こんな病院みたいな真っ白な住宅に住めるか!」と言われたり、「ガラスの箱に入れられて、私は見せ物では無い!」<FIG7>と訴訟に持ち込まれたりと散々だったのである。それがやっと100年程経った今、我々はモダニズムの空間を「快適だ」と体感出来る様になった。それ程遅いのである。故に革新的であろう、そして先端的であろうとする建築家の指向は益々メジャーな住み手層からずれてゆく宿命にあると言うのは当然と言えば当然なのである。
 




作家性が高い「作品」の事例 <FIG 7>
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